書籍の説明
1964年の記念切手
(L’Évangile selon le spiritisme百周年記念)
内容紹介
フランス、リヨン出身の教育学者であったアラン・カルデックは、1850年代、ヨーロッパのブルジョアサロンを熱狂させていたテーブルを使って死者とのコミュニケーションをとる現象に出会い、研究を始めた。その結果、人間の存在の本質とは肉体の存続に限定されるものではなく、霊魂としての存在であるという結論に至り、その主義をいくつかの著作を通じてスピリティズムの教義として体系化し、広める。その著作シリーズは、19世紀後半にフランスで発刊され、ヨーロッパで400万部超を売り上げた大ベストセラーである。現在、日本でもブームとなっているスピリチュアリズムの分野において、不朽の古典とされている。本書は、初の日本語訳版である。スピリティズムの知識は、人生に対する広く合理的な視野を広げ、私達を納得させる形で人生について説明してくれ、そのことは私達が内面的に変革することを可能にし、私達を神の元へと近づかせてくれる。
内容(「BOOK」データベースより)
スピリティズムの教義に基づくイエス・キリストの道徳的原理と、日常生活での応用方法を教える書。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
カルデック,アラン
本名、イポリット・レオン・ドゥニザール・リヴァイユ。1804年10月3日‐1869年3月31日。フランス、リヨン出身の教育学者であったアラン・カルデックは、1850年代、ヨーロッパのブルジョアサロンを熱狂させていたテーブルを使って死者とのコミュニケーションをとる現象に出会い、研究を始めた。その結果、人間の存在の本質とは肉体の存続に限定されるものではなく、霊魂としての存在であるという結論にいたり、その主義をいくつかの著作を通じてspiritisme(スピリティズム)の教義として体系化し、広める
角/智織
1986年上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒業。日本におけるスピリティズムの教義の紹介・普及のため、関係文献の翻訳を行うほか勉強会を主催(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
交霊術の研究
霊媒を介して、あるいはひとつのテーブルを取り囲むことで死者とのコミュニケーションをはかる交霊会は、1840年代にアメリカで出現し、1850年代になるとヨーロッパのブルジョワサロンを熱狂させていた。現象が本物ならば、宗教的・科学的に非常に大きな可能性を秘めていると考えたリヴァイユは、慎重に調査を開始した。
やがて親友の2人の娘が霊媒能力を発揮し、普段はごく普通の明るい娘たちが、打って変わって真剣な様子になり、「あなたには重要な宗教的使命がある」とリヴァイユに告げたという。興味を持った彼は毎週末その2人の協力で交霊会を開き、人生のさまざまな問題や宇宙観について質問し、テーブルターニングや自動書記によって答えを得ていったという。
2年ほどこうした実験を続けた後、リヴァイユは不可視の存在とその発言内容を認め、出版する決意を固める。彼はひとつの交霊会での霊言だけでなく、いろいろな言語の複数の交霊会で霊言を収集して、内容をしつこく確認したという。大量の霊言が集まると、それらを細かく比較・検討し、絞り込んで編纂した。カルデックはその著作『霊の書 (Le livre des Esprits) 』(1857年)においてこの交霊会に Séance という名を与え、そこに哲学的意味を見て取ることとなる。
このカルデックの思想、というより実践は、19世紀後半のフランス社会を語るうえで見逃せないひとつの潮流を形成し、とりわけカルデックの生まれ故郷リヨンでは、主に労働者が伝播の役割を果した。今日では、ブラジルに多くの支持者がいるという。
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実践してこそ真理
投稿者ろー2007年7月19日
私は,2年前まで霊的世界の否定論者でした。前世だとか,生まれ変わりだとか、人間にとってだけ都合のいい独善的な思想だと思っていました。死ねば自分は消滅し,この宇宙に物質として還元されていくという考えに安らぎを感じる一人でした。シルバーバーチの霊訓が転機となり、大きく考えを転換することになった自分が、数十冊のスピリチュアリズムの本を経て、最後にその総まとめをしてくれたと感じる本に出会えました。シルバーバーチを始め、全ての高級霊が口を揃えていう、今まで地上に降り立った人間の中で最も模範とすべき霊格を備えているという,ナザレのイエス。人間的な所産であるキリスト教のドグマを通過することなく、クリスチャンであることを強要しない形で人間イエスの生き方と,言葉の真の意味に触れ、生活の中での実践を教えてくれる、宗教アレルギーの日本人に最適の本だと思います。毎日無作為にページを開くと,そこに今の自分の悩みに対する答えがあります。
マイレヴュー
過去に、日本聖書協会編1955年版口語訳聖書を5ページ/日で一年半かけて熟読した後、適宜読み返し続けていた私にとって、この本との出会いは衝撃的でした。すでに巨大新興宗教3遍歴のある私にとって、聖書の誤謬は疑いのないものになっていました。英語聖書に比して日本語訳の抜粋感。英語聖書ではゴッド、ロード、エホバ、エロヒムを日本訳ではただ『神、主』の繰り返し。さらに、主語、目的語そして述語動詞の欠落、としか思えないような表現の欠落感に、自然にイメージして、なんども行間を読み返し、幸不幸のキャリアも助け理解を深めていた私でした。意図的に抜き去ったか、付け加えたのか?本来ならもっとわかりやすく書かれていたのではないのかという思いが心の片隅にいつもありました。小学校の時に、たまたま父の書斎にあった怪盗ルパンを一気に読み終えた後に、推理小説の面白さに取り憑かれ、小学校の図書室で見つけたシャーロック・ホームズ他の推理小説を素直に読みまくりました。また、スタッフプロフィールの略歴を補足すれば、かつて、入社そうそう新入社員は工数が付かないからといって、山下部長に同期3名共ブラジルツバロン製鉄所図面校正で数ヶ月もの残業、徹夜の連続、雪国出身ということでスノーシェッド、さらに橋梁『地方道〜建設省、道路公団中央自動車道富士吉田線小形山橋・古河渡橋(思い入れのある2橋で初めての高速道橋梁の設計担当者になり、主任技術者補として富士急ハイランド近くにある富士吉田の現場へ派遣された経緯がある。秋から冬にかけて、都留市山麓にある母と姉妹が営む荘厳巨大な大黒柱と梁が貫く養蚕農家の古民家民宿に居を構え、厳冬の富士颪の中、床版上に設置した巨大なジェットバーナーから、吹き出る熱風を受けてドーム状に膨らむ、全面が真っ青の養生シートで覆われた、橋長110mRC床版の養生のスケール感には当初圧倒された。
富士急ハイランドへ至、中央高速自動車道古河渡橋完成RC床版上のマイブックレヴューアー
現場との往来すること4ヶ月間。秋葉原岩本町の設計室から現場まで、この体験こそが俯瞰力を養いゼネラリストへの門を開いたと振り返って感慨深い…)、首都高速道路公団』、ついには千葉県蘇我市川崎製鉄地下ドーム内にあるコンピュータールームに出向して水島製鉄所溶鉱炉CAD設計オペレーター(水島の設計室の同僚にはだいぶ迷惑をかけたという噂が後日耳に入ったけど)、を歴任した。鉄鋼品の設計士であった私は、連日の図面チェックにはうんざりで、久野部長の声一つで設計室内の誰かの図面が完成すると、全員に配られた青焼き(当時のコピー)のチェックマンになるのである。最初は要領を得ずなかなかでしたが、慣れてくるとA1サイズの図面一枚に約10分で二、三箇所ミスを見つけた。これら二つのスキルが知らず知らずに、スピリティズムで憑依した霊魂の識別によく用いられる審神者力に類似した能力を養ったものと思われます。このことが、聖書理解の際に本能的に働き、誤謬をクローズアップさせたのでは?聖書のあのなんかスッキリしない独特な読後感。比喩例えのせいとだけは言い切れない違和感。一視同仁、万民救済の神はなぜこんなにも解りづらくしたのか?聖書全編に流れているテーマ・要旨は何か?行間どころか段落間、節間、章間、書間の把握・俯瞰。逐語霊感説では論旨を見失ってしまうのでは?いわば地図記号が抜けていたり、現地に無い記号が付加されていたら?テーマというゴールが見えないもどかしさ!旧約・新約を貫くテーマは何か?聖書といえども著作物であるからには、脈絡という一本の筋が見えなければ何遍読もうが、一生読み続けようが、巷のクリスチャンが陥っている歩く人間検索エンジンとなってしまう。聖書というデータ検索を競い合っているに過ぎず、Google先生も顔負けするほど優秀である。データが知識化のままで情報に届いていない。さしずめ聖書ブリタニカ大百科事典人間である。これらの風刺にも耐え、果敢にもチャレンジする真の信仰心が根底のマインドに息づいている諸氏にとって、この『スピリティズムによる福音』は、一点突破全面展開となるのは明白であろう。まさに失われた聖文がここに見出されるのです。私にとって!
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