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盗人のように、雲に乗って来る?ディスクロージャーと聖書でインサイトするとは、
終末に、主イエスの再来を待つクリスチャンたちの間で緊張感が高まる中、実際に主はいかにして再来されるのかという疑問が残ります。「雲に乗って来る」ともあり、それに対し、「見よ、わたしは盗人のように来る」(黙示録16:15)、「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」(ルカ 17:25)、「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイ25:6)ともあります。
もし再臨主が誰にでも見えるように雲に乗って来られるなら、主が密かに現れ、苦しみ、捨てられるという聖書の奥義や、再来の証しをする者たちが出て来るという聖書の記述はどう説明できるのでしょうか。救世主はどのような形で臨在するのか?
他方、昨今のアイク氏やDr.グレア、国内におけるJCETIのサリバン氏らによるディスクロージャー情報に基づいたブログも多々見受けられるようになりました。宗教者に限らず、一般の民間人も啓発されていることの表れではないでしょうか?両者のブログ記事を取り上げて、宗教とコズミックの両面から比較し複眼思考で解明にアプローチして行きます。
御再臨のイエス様は雲に乗って
転載開始….
御再臨のイエス様は雲に乗って
2018-07-16 13:36:07
テーマ:ブログ
ごきげんよう!さわこです。
安息日の午後、月に一回、長老会主催でEGホワイト初代文集の輪読会をしています。
一昨日は「聖徒たちの救出」の章でした。参加者は12名。
「まもなく、人の子の乗っておられる大きな白い雲が現れた。・・・」(初代文集251ページ)
イエス様は白い雲に乗って現れる。
この雲とは、水蒸気の雲であるのだろうか。
イエス様は最高法院で裁判を受けられた時、大祭司カイアファに対して
「あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗ってくるのを見る」(マタイ26:64)
とお答えになった所にも、「天の雲に乗って」とあります。
私たちは、雲は水蒸気でできていると科学的な説明を信じているから、そういう目で見、そういう仕組みで理解しようとしますが、
「天の雲」とイエスは言われたのです。
初代文集では
「生ける雲」とあり「雲の車の両側には翼があって、その下には生ける輪があり、
車が上の方へ動く時、その輪は『聖なるかな』と叫んだ。
翼もまた動くたびに『聖なるかな』と叫び・・・」と書かれています。
EGホワイトの「各時代の大争闘、1914ページ」にも同様の記述があります。
「翼があり、生ける輪があり、叫ぶ」というところから、雲は天使の群れであると説明する人もいます。
転載終了….
復活したイエス様が、宇宙船で戻って来る!
2019/05/08 に公開
主が雲に乗って来られるということが分かっている。
転載開始….
彼らを追い払うことに、まったく問題はない。聖書には、明らかに「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。……」(ヨハネの黙示録 1:7)と書かれている。主が雲に乗って来られるということが分かっている。しかし今日、私たちはその事実を見ていないのだ。どうやって主は戻ってこられたと言える?
2018-01-26
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楊守道:彼らを追い払うことに、まったく問題はない。聖書には、明らかに「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。……」(ヨハネの黙示録 1:7)と書かれている。主が雲に乗って来られるということが分かっている。しかし今日、私たちはその事実を見ていないのだ。どうやって主は戻ってこられたと言える?
李佳音:伯父さん、主が戻って来られることは大きな出来事です。聖書に記述されたただ一つの例を見るだけといのは少し独断的ではないでしょうか?当時のユダヤのパリサイ人を思い出してください。パリサイ人はメシアの到来を切望し、メシアの預言を心に刻み付けていました。しかし、主イエスが働きを行うためにやって来られた時、パリサイ人たちが想像していた通りではなかったのでメシアとしてイエスを認めないどころか、イエスを十字架につけたのです。パリサイ人たちは神にそむき、時代を超えて非難される人になりました。彼らは神に呪われています。伯父さん、私は、主の戻って来られるのを待つことに関しては、神に背く過ちを犯さないため、よりいっそう慎重になるべきだと思います。東方閃電が神の働きであり、主の再臨であるのかどうかは今はまだ、はっきりわかりません。東方閃電の人々が、主の再臨を私たちに証言する時、少し耳を傾けて言い分について考えてから判断しても良いと思います。皆さんはどう思われますか?
赵姉妹:あなたは正しいわ。
杨候恩:佳音、あなたの言っていることは筋が通っているよ。でも、聖書には、白い雲にのって主が到来すると書いてあるんだけど、それについては、どう説明するんだい?
李佳音:最近私は、主の再臨に関する聖書の記述を注意深く読むことに時間を費やしてきました。聖書の再臨に関する記述は、大きく二通りに分けることができることを発見しました。兄さん、見てください。一つ目は、主が雲に乗って到来し、すべての人に目撃されるというものです。もう一つは、黙示録3章3節に書かれているように、主は盗人のように来られるだろう、というものです。「わたしは盗人のように来るであろう。」マタイによる福音書25章6節でもこう言われています。「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。」これらの聖書箇所から見えるのは、主の到来に関する記述は二通りであるということです。一つは、主は誰にも知られないよう、盗人のように来られるというもの。もしかしたら主は密かに来られるかもしれません。もう一つは、主は雲に乗って来られ、すべての人に見られる、というもの。主は万人の前に御姿を現わされるのかもしれません。私の個人的な理解では、主は多分、最初は秘かに来られるでしょう。そして、ご自身の働きを完了された後に、公に御姿を現されることでしょう。これは、主イエスがご自身の働きを行うためにやってこれられた時と同様です。主イエスは、まず最初に、人の子として肉になり、ひそかにこの世にいらしたのです。お働きを成し遂げられた後、主イエスは十字架に釘付けにされ、その後、死から復活させられました。イエスは40日の間、人々の前に御姿を現され、その後、天へと昇っていかれました。我々が良く知っている通りです。
楊守道:佳音、君は間違っている。「盗人のように」や「真夜中に」というのは、いつ主がやって来られるのか、誰もわからないということなんだ。ひそかに主がいらっしゃると言っているわけではないんだ。
李佳音:伯父さん、このことに関する私の理解は次の通りです。聖書の多くの箇所では、主の再臨は「人の子の到来」だと預言されています。このことは、ルカによる福音書17章24~25節でも明らかです。主イエスは言われました。「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。 しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」「人の子」とは受肉された神を指しています。この節ではこうも述べられています。「彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」人の子はまたこの時代によって排斥されなければならないわけですから、受肉された神が秘かに到着されると意味する可能性は非常に高いでしょう。主イエスがご自身の働きを行うためにいらしたとき、誰も、主が約束されたメシアである、ということをわかりませんでした。人々は主を普通の人間だと考え、非難し、受け入れませんでした。主が来られるとき、もし主が直接、万人に御自身の姿を現すなら、主が苦しみを受けることはないだろうし、主が今の世代によって排斥されることがありません。ですから、私は次のように考えています。「盗人のように」や「真夜中に」とは、いつ主が来るのか誰もわからない、といった単純な意味ではありません。これらの表現は、主がどのように人の子として、ひそかに、戻られるか、ということに言及している可能性が高いと思います。
「待つ」より
転載終了….
キリスト教会漫才2019「主の到来の形」 聖書の預言──主イエスの再臨の奥義を明らかにする 日本語吹き替え
全能神教会日本語チャンネル
2019/02/14 に公開
キリスト教会漫才2019「主の到来の形」 聖書の預言──主イエスの再臨の奥義を明らかにする 日本語吹き替え
終わりの日、主イエスの再来を待つキリスト教徒たちの間で緊張感が高まる中、実際に主はいかにして再来されるのかという疑問が出る。「雲に乗ってお見えになる」と言う者もいるが、それに対し、再来の預言が他にもあると指摘して異議を唱える声もある。「見よ、わたしは盗人のように来る」(黙示録16:15)、「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」(ルカ 17:25)、「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイ25:6)もし主が誰にでも見えるように雲に乗って来られるなら、主が密かに現れ、苦しみ、捨てられるという奥義や、再来の証しをする者たちが出て来るという御言葉はどう説明できるのだろうか。主はどのような形でお姿を表されるのか。本作「主の到来の形」は、私たちの疑問にユーモラスに答えていく。
関連動画
2030年、イエス様が、宇宙船で地球へ戻って来る!(19.06.20)
朗読 神の言葉「救い主はすでに『 白い雲』に乗って戻って来た」(抜粋)その1
File110 プレアデスが教えるイエス・キリストの歴史(都市伝説、プレアデス星人編 )
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引用開始…..
神はこのような状況、宮がそもそも存在していない、かといって、建設も不可能である状況をとおして、我々に何か語りかけておられるように思えるのです。何をでしょうか?主は物理的な宮に目を向けるべきではない、と語られているように思えます。むしろ、宮の崩壊に関するたとえの意味合いに目を向けるよう語られているように思うのですがどうでしょう?新約聖書で言われる宮とは、物理的な建物というより、 神の教会を指すたとえです。以下のことばのとおりです。
〔聖書箇所〕エペソ人への手紙2:20-22
2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
2:21 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
2:22 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
ここでは、宮は神の教会であること、宮の土台石は使徒や預言者であること、また、キリストが礎石であることが書かれているのです。ですので、主の預言された終末における宮の崩壊とは、ほかでもない、主のからだである教会崩壊の預言と理解できるのです。さらに石がひとつも残されないとは、すなわち、教会の土台となる教理の崩壊、さらに使徒や預言者の教え、 さらに隅の礎石であるキリストの教えさえ、教会から取り去られるという徹底的な教会破壊の日の預言と理解できます。このような日、教会が崩壊し、土台が崩壊する日など望ましくはな いのですが、いずれ起きるのでしょう。以前からみてきましたように、このことは終末に関する他のみことばと一致しており、整合するのです。
主はこのように終末の日の宮の崩壊の日、すなわち、神の宮としての教会が崩壊する日を警 告して預言を語られたのですが、悲しいかな、 この警告のことばは盗まれ、何の警告にもなっ ていません。多くのクリスチャンは、エルサレムの第三神殿建設だの、物理的なことに目をう ばわれ、主の警告に耳をかたむけようとしないのです。そうです、この面においても主のみこ とばは盗まれているのです。
さて、主はこのような日、盗人に入り込まれ、 教会の大事なみことばや、教理を盗まれる日を 預言したかのように、かつてこのように言われました。
〔聖書箇所〕マタイの福音書24:43
24:43 このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼう(盗人)が夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。
現在このことばは成就し、神の家、教会に盗人は入り込み、大事な終末のみことばはどれも これも盗まれてしまったように思えます。しかし、正しくみことばに立ち返り、真理に立ち戻る人に御心があることを知りましょう。
引用終了…..
アインソフ談】
この「ヒューマンシフト」を再臨の救世主であるメシア本人が、まさに奉行所で裃を投げ捨てて一度目撃したら決して忘却しないほどのあの鮮烈な刺青を見せびらかし、庶民に潜伏する偽善者に免れ得ぬ証拠として裁かんとする「東山の金さん」のごとき出で立ちで、受肉降誕しているはずです。
終末に天に引き上げられる”144000”こそがメシア格キリスト種(アセンデットマスター)なのですから。一人ではないのですよ!皆さん。果たして、人も獣も等しく試され最後まで耐え忍び終末のハーベストにふさわしくも情状酌量(寛容成長期間悔改者)されうる自分なのか?組織体もピラミッド体制が崩壊して、ホラクラシーが台頭しつつあり、AIによる業態の衰退・勃興、労働環境の激変、兌換紙幣による脆弱な貨幣経済の減衰等々が昨今の趨勢ですからネ!。
ヒューマンシフト:シフト(shift=sieve/篩)Shifterとしてのメシア
*CE-9 第9種接近遭遇
つづく
イエスは異星人でしたか?聖書のメッセージ
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