人間の目は、霊体の構造そのままに表しています。
「霊体」とは、「一霊四魂」と「心」をひっくるめたものです。
一霊四魂は直霊と四魂に分かれています。
瞳孔=直霊
虹彩=四魂
白目=心
となっています。
過去記事にて、人と動物の魂の違いをお伝えしましたが、
動物には心がなく、心の機能は、一霊四魂に振り分けられ、
魂に直接溶け込んでいます。
動物の目を見てみてください。
パッと見て、人間のように白目の部分がないですよね。
一番人間に近いとされる猿でも、白目は確認できません。
動物にも白目はあるのですが、
表からは見えない構造になっているのです。
それは、独立した心を持っていないことを表しているのです。
目を見れば、その人の心と魂の美しさ、汚れ具合がわかります。
心と魂の状態は、目にあらわれます。
近頃は様々な種類のコンタクトレンズがあり、
かなりごまかせるのでテレビに出ている有名人を見ても、
なかなかわかりにくいところではありますが、
内からにじみ出る霊性は、
わかる人が見ればわかりますし、ごまかしきれません。
目の病気になったら、
体主霊従になっていなかったかどうか、
己を省みることです。
物質や金銭などに執着していませんか。
地位や名声、世間体に囚われていませんか。
目に見えない世界を信じていますか。
この地上の自然万物、大いなる存在に感謝していますか。
自分は生かされていると実感していますか。
また、ネットでの交流だと、
相手がどんな表情なのか、わかりません。
その人が偽善者か、真人(まことびと)であるか、
表面だけの美辞麗句に騙されないようにするには、
理屈ではなく、神理に沿った真かどうか、
心で読みとり、よく審神(サニワ)することです。
基本の成っている人なら、
必ずおかしいところに気づけるはずです。
スピ系で例えるなら、
自分の地位や名声を上げよう、守ろうと、
自分がどれだけ力があるかを誇示します。
神仏や神霊についてどんな存在であるか、ではなく、
あくまでも「我が」をアピールしているのが特徴です。
高次の存在らしきものを見たとしたら、
それを見た自分の凄さや武勇伝を自慢するのです。
そのような人に限って、真実を伝える人に対して、
びっくりするほど鼻がききます。
あくまでも自分がトップに君臨していたいので、
真の人を引きずり落とそうとします。
真実を伝える人は、自分の立場を危うくする、
都合の悪い存在だからです。
真人であるなら、常に自分の至らないところを省み、
謙虚な姿勢で、己の身の丈に合った行いができます。
すごいのは神であって人間ではありません。
人間はどうあがいても神にはなれません。
人間は、「神の光を担う者」です。
神に仕えるのがお役目です。
それなのに、自らが神にでもなったかのように
思いこみ、自惚れ、慢心し、
それで沈められたのが、かのアトランティスです。
この現世で同じようなことをしている人は、
アトランティスのカルマをまだ解消できていないのでしょう。
人間の魂は、神の魂とはクオリティもスケールも、
生まれた元から違うのです。
とても小さなひとつぶの光なのです。
小さいなりに、磨きあげ、精一杯光り輝くことができるか。
神の御意志を具現化できるよう、
神の手となり足となり、お仕えできるようになるのが、
人間としての最終目標です。
皆さんの正体は、この広い宇宙のどこかに住んでいた、
宇宙存在です。
少々霊性が低く、更正する必要があるので、
この地球上に、人間として転生しているのです。
霊性を向上させるまでは、もともと住んでいた故郷の星の、
アセンション済みの仲間たちに会うことはできません。
そして、地球での長い合宿生活の成果が、
示される時が近づいています。
もう秒読み段階にきています。
辛抱に辛抱を重ね、苦労を乗り越え、
それでも前向きに進んできた自分を、
褒めてあげたいと、思えますか。
まだまだ至らないところもあるけど、
そんな自分を誇りに思いますか。信じていますか。
それとも、
自分を幸せにするのは、お金と物質的豊かさですか。
幸せでないのは、政治のせいですか。
自分は誰とも違う特別な存在だと思っていますか。
地位や権力、名声にしがみつき、躍起になっている最中ですか。
自惚れの鼻高は、
その高い鼻をポキンとへし折られる時が必ず来ます。
霊的には魂の振り分けは完全に終了しています。
二手にくっきりと分かれる時が来ようとしています。
住む世界の分かれるときが、もうじきおとずれます。
それは、己の在り方、生きざまの結果なのです。
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本文:“目と魂の深い関係”:非時の香の花の音海の杜
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