迷いの真っ只中で!心と魂の救い
ネットメディアから真相に迫る
あなたの心と
魂を、正しい方向にいざなう、
表と裏の、二つの五ヶ条を、
もう一度記しておきます。
このブログを開いた時、なるべく早く、
あなたの眼に飛び込んでくるように・・・
心を正す五ヶ条(表)
信念=省みる
理性=恥じる
思考=悔いる
感情=畏れる
知性=覚る(さとる)
魂を正す五ヶ条(裏)
直霊=測る
荒魂=慎む
和魂=恕す(ゆるす)
幸魂=足知
奇魂=心眼
己を省み 自分で自分を測ることをせよ
恥じ慎めよ 悔い改め恕せよ
畏れ敬い足るを知り
自らを覚り心の眼を開け
わすれてはならん
「直霊」には「測る」です。
人を自分のものさしで測り、裁いていませんか。
そのものさしは、己を測るためにあるものです。
あなたの「信念」は本当に正しいのですか。
頭に血がのぼり、早とちり、勘違い、思いこみ、慢心、
ほんとうにありませんか。
人を責めるよりまず、己を省みることです。
我を張らず真素直になり、
自分を省み、よくよく測ってみてください。
「荒魂」は、勇気や実行力の働きです。
荒魂が闇側に傾くと「争魂(アラシタマ)」となります。
この荒魂の働きが強くなりすぎると、
攻撃的、暴力的になり、暴力をふるうことに限らず、
自分の我を通し人を責め、裁き、言葉での暴力も含まれます。
強くなりすぎた荒魂の働きを正すには、
「慎み」深くできることです。
正しいか、間違っているかは関係なく、
行いそのものが、人を攻撃するものになっていませんでしたか。
自分の行いを恥じ、慎むことができるようになりましょう。
「和魂」は人への愛心、人と人との意志疎通、です。
この和魂が正しく機能していないと人間関係はうまくいきません。
和魂が闇に傾くと「憎魂(ニクシタマ)」になります。
文字通り、人に「憎しみ」を抱き、
そこから脱することができないでいると、闇側に傾くのです。
それには「恕す」意識をもつことです。
許可する意味の、事務的な“許す”とは少々意味が違います。
これは、精神的な心の中での「ゆるし」なのです。
「恕す」とは、非なるものを是とすることではありません。
自らの負の思いを、その憎しみを、
“捨てる”“手放す”ことを自分にゆるすことなのです。
どんなことでも仏のような心で“許す”よう
心がけることではありません。
非は非とした上で、「我」は手放し、割り切ることを、
自分にゆるすことなのです。
悔いることと恕すことは、切り離せないワンセットです。
「幸魂」は、自然、万物への広い愛、博愛です。
幸魂が闇側に傾くと、「逆魂(サカシタマ)」となります。
幸魂が正常に働いていないと、「人間性」を失ってしまいます。
喜び、怒り、泣き、笑い、豊かな感情があってこそ、
人としての温かみを感じたり伝えたり
まともな人間らしさをもっていられるというものです。
喜怒哀楽は神だってもつのです。
どんなことが起こっても平静を保ち、まったく感情の動かない
ロボットのようになったら、それはもう「人」とは呼べません。
自分の「弱さ」をさらけだしても、
ちっともかっこ悪くなんかありませんよ。
幸魂を正すには、「足知」、“足るを知る”ことです。
幸魂はなぜ“幸”なのでしょう。
幸せとは、喜びとは、なんでしょうか。
自分の欲求が満たされることでしょうか。
自分の我が通り、思いが満たされることでしょうか。
そうすれば、幸せになれるのでしょうか。
それははたして、利他への愛でしょうか。
足るを知るとは、
すぐそばにある小さな幸せを見つけられるようになることです。
当たり前のものの中に「感謝」できることです。
当たり前の日々生活の中にこそ、本当の幸せが隠れているのです。
今日も生き(息)させていただいているということに感謝し、
自分を支えるすべての自然万物に、
畏れ敬い、足るを知ることができていれば、
何の不足も出てきません。
「奇魂」は、“智”です。
奇魂が正常に働いていないと、精神が壊れてしまいます。
闇側に傾くと「狂魂(クルシタマ)」となります。
理屈だけですべての物事の説明をつけ、
納得しようとしてもどうしても無理が出てきます。
教わった通りじゃない、常識に当てはまらない、
型にはまった道通りでなければ、落ちこぼれ、
そんな、マニュアル通りの完璧主義の人ほど、
心の病にかかりやすいのです。
合点できる理屈が見つからなければ心が乱れてしまうのは、
知識だけたくさんあっても心の学びが少なく、
何かにぶちあたったときの、
心の対処法がわかっていないからです。
表面的なことしか見えておらず、
物事の本質を見透す心の眼が開いていないからです。
「心眼」とは、心の眼を開くことです。
それは、すべての先入観を捨て去り、真素直になることです。
心眼の目覚めを邪魔するのは、
理屈への執着や固定観念など、自分の「我」のほかにありません。
「覚る」とは、自分より外側のなにかに対して、
物分かりの良いことではありません。
自分自身を覚ることなのです。自らの“目覚め”です。
利他でなく、己に対しての“気づき”が「覚る」ことです。
理屈に頼らないで、心をまっさらにして、
素直な心で読みとる、見えないものを見ることです。
例えば人には「本音」と「建前」があるように、
表で見せているそぶりと、本当の心根は違うことがあります。
言葉では乱暴でも、照れているだけの場合もあったり、
一見、物腰が柔らかく善い人そうに見えても、
その腹の内は、とんでもなく真っ黒だったり、
表面だけで本当のその人の心を判断できるものではありません。
見えないものを見るというのは、霊感のことではなく、
直感で本質を見抜けることです。それが、心の眼なのです。
四魂の読みですが、例えば荒魂だと「アラミタマ」
と読みますが、正式には御の字を入れ「荒御魂」とするものです。
心と魂の違い 〜一霊四魂をより理解するために〜
【神性】 【獣性】
直霊(ナオヒ) 曲霊(マガヒ)
荒御魂(アラミタマ)=争謚魂(アラシタマ)
和御魂(ニギミタマ)=憎謚魂(ニクシタマ)
奇御魂(クシミタマ)=狂謚魂(クルシタマ)
幸御魂(サキミタマ)=逆謚魂(サカシタマ)
今すぐにはピンと来なくても良いのです。
忘れないよう、心の中に、しっかりと刻みこんでおいてください。
そして、迷い、苦しみ、なにかあったときには、思い出してみてください。
この冬の世を生きぬいていくときに、二つの五ヶ条は、きっとあなたの道しるべとなるでしょう。
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