「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」
とは一体如何なることを伝えようとしているのか?その真意に接近する。
まず、ウィキブックス「平家物語 祇園精舎」を紐解いてみよう!
平家物語 祇園精舎
本文
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
平家物語 祇園精舎 「原文」
遠く異朝をとぶらえば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の祿山、これらは皆舊主先皇の政にもしたがはず、樂しみをきはめ、諌めをも思ひ入れず、天下の亂れん事を悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
本文の読み方
ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのひびきあり。
しゃらそうじゅのはなのいろ、じょうしゃひっすいのことわりをあらわす。
おごれるひともひさしからず、ただはるのよのゆめのごとし。
たけきものもついにはほろびぬ、ひとえにかぜのまえのちりにおなじ。
とおくいちょうをとぶらえば、しんのちょうこう、かんのおうもう、りょうのしゅうい、とうのろくさん、これらはみな、きゅうしゅせんこうのまつりごとにもしたがわず、たのしみをきわめ、いさめをもおもいいれず、てんかのみだれんことをさとらずして、みんかんのうれうるところをしらざっしかば、ひさしからずしてぼうじにしものどもなり。
現代語訳
祇園精舍の鐘の音には、諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。
娑羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、春の夜の夢のようである。
勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。
平家物語 祇園精舎「現代語訳」
遠い外国 (の例) を見ると、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の安禄山、これらはみな元の君主や先代皇帝の政治に従わず、(栄華の)楽しみを極め、忠告にも深く考えようとはせず、天下が乱れることもわからずに、人々の苦労するところとなるものも知らなかったので、長続きせずに滅びた者たちである。
この現代語訳からその真意に接近する。
祇園精舎(インドのお釈迦さまのお寺)の鐘の音は、「諸行無常(永久不変なものはない)」といっているように聞こえる。沙羅双樹(ツバキの一種。お釈迦さまが死を迎えるとき白くなって枯れた。)の花の色は、栄えている者が必ず落ちぶれるという意味を表している。思い上がったふるまいをする者は長くは続かない。それは単に春の夜に見る夢のようだ。荒々しい強者もゆくゆくは滅びてしまう。それは、いかにも風が吹くと飛んでいく塵と同じだ。
「栄華はつづかない。栄えていてもいずれお落ちてゆく。」という意味だ。平家物語の冒頭、平氏が没落していく様を表している。
何故、今回このテーマなのかと言えば、ユダヤ関係が好きな方が結び付ける傾向があるため敢えて取り上げた。
祇園精舎についてはユダヤとは一切無関係だと思はれる。
後日、こじつけで言い変えられたと言う可能性は残っている。
ユダヤ関連に関しての情報は十分に気を配って欲しい。
事実・真実の一部をすり替えて「99%の真実に1%の虚偽」を内包させ欺瞞によりユダヤ(山羊系ユダヤ人*1 )に取っての有利な解釈を主張してくる。
この詩はあくまでも釈尊の教えに基づいての詩である。
「平氏が没落していく様を表している」と同時に我々の身に
当てて考えるべき悟りであります。
ネット等で調べてみると文上での解釈が多く散見する。
詩としてではなく、あくまで釈尊の悟りとして文底で解釈をすれば、
・祇園精舎の鐘の声
中インドの舎衛城(しゃえじょう)の南にある祇陀(ぎだ)太子の林苑に
鳴り響く鐘の音というのは、
・諸行無常の響きあり
今日は今日という日の鐘の響きであり、明日はまた今日とは異なった
鐘の響きをまた響かせることでありましょう。
(この世とは常に変化し続けている)
・沙羅双樹の花の色
「沙羅双樹」は釈尊の入滅されたとき側に生えていた木の名前で、釈尊が亡くなると余りの悲しさゆえに、木々や草花までもが白く枯れたという
今生において、生けとし生ける物は必ず死が訪れるのである。
・盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
今生の栄など朝露の如く、宇宙の時間から見れば瞬きの如く、
いつまでも続くものではない。
仮に、今生に於いてもし栄が途絶えなかったとしても、
その栄は、死後に持って行けることはない。
(地位・財産・名誉等は死んだ後、全て持って行かれないものばかり)
・ただ春の世の夢のごとし
今生というのは、ただただ夢の如しである。
あっという間に人生というものは終えてしまうのであり、
心地よい春を感じている間にも刻々とやがて訪れる
苦しい死が一歩一歩近づいているのである。
・たけき者も遂には滅びぬ
・ひとえに風の前の塵に同じ
どんなに長者であろうとも、どんな地位や名誉を従えようとも
そのようなものは死後には通用しない。
逆にどんなに貧乏であれ、生活が貧しかろうとも
「死」はみな平等であり、必ずこの世に生を受ければ一人一人に訪れるのである。
それを知って・感じて尚且つ一生掛けて追い続け地位・名誉・財産を貪るは
まさに愚かである。
つまり「心こそ大切にしなさい」という教えであります。
人は必ず一度は死ぬのであります。
私たちは朝露の如くに、あっと言う間の人生です。
放埒に生きるのか、崇高な人生を歩むのかは全て自分次第であると思います。
今現在。大変な世の中であり、理不尽なことだらけであります。
どうか、腐らず、諦めず、自身を奮い起こして進んでいきましょう!
*1 山羊系ユダヤ人:イエスを十字架につけて拒絶したユダヤ人。ユダヤ教パリサイ派勢力。因みに、羊系ユダヤ人とは、イエスを信じるユダヤ人。
参考:“平家物語 祇園精舎”ウィキブックス
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アイキャッチ:“平家物語・祇園精舎サンプル.png” ウィキペディア